![]() ストラディヴァリの時代に絶頂期を迎えたクレモナのバイオリン製作は、その後しばらく繁栄を続けますが、 19世紀になると昔日の面影なく衰えてしまいます。 |
この時代、弦楽器界をリードしていたのは、パリのビヨーム(J.B.Vuilaume1798-1875)や ロンドンのヒル兄弟たちの工房でした。 彼らは職人としての高い技術とともに、商売の才覚を併せ持っていたのです。 また、工業化の進んだ国々では、分業化・機械化により楽器の大量生産も始められました (ドイツのマルクノイキルヒェン、フランスのミルクールなどの都市が挙げられます)。 当時の後進国イタリアは、いまだ産業の中心は農業であり工業化が立ち遅れていたため、こうした流れに対抗するすべはありませんでした。 20世紀のはじめには、クレモナの弦楽器製作はほとんど死に絶えてしまったような状態でした。 僅かに伝統を受け継いでいたクレモナ出身のアントニアッツィ一族も、ミラノに移住してしまいました。 バイオリンの町としてクレモナが復興するのは20世紀半ば以降になります。そのきっかけの一つとなったのは、 1937年にストラディヴァリの没後200年を記念して、クレモナで催された大規模な弦楽器の展覧会です。 (註1) そしてこの翌年にはクレモナバイオリン製作学校が開校され、復興に大きな役割を担うことになります。 この学校で学んだ人々が、現在のクレモナのバイオリン作りを支えているのです。
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